ひとづて 1





 
   

◎ 操惇になりきれなかった、曹操 → 夏侯惇 なお話です。
◎ 恐ろしいほど殿がかっこわるいです。そして滅茶苦茶かわいそうです。
◎ ていうかほぼ淵ちゃんばっかりです。













 従兄の君主様…曹操のことを、夏侯淵がどんな風に思っているのかを語るならば、『怖い・強い・頭いい!』の三拍子があれば事足りた。
人の考えていること全てを見透かし、武芸も学問も文句なく一流。そう、尊敬すべき男だった。さっきまでは。


 いつもと同じ、曹操軍の主だった面々で催された宴の最中。

酒には馬鹿みたいに強い曹操だったが、飲む量も尋常ではないので、今日もすぐに酔いがまわって血色の良い頬を晒していた。

 普段ならその隣にいるはずの夏侯惇は、反対側で何やら楽しそうに、張遼らと騒いでいる。代わりに、夏侯淵が曹操の相手をしていた。

 …と言っても、今日の曹操はひどく寡黙だった。話題を振っても生返事、溜息連発。
誰かが挨拶に来ても、話すのは二、三言。普段とのあまりの違いに心配になるほどだ。


「…殿、大丈夫ですか?」

 具合でも悪いのかと思って声をかけても、

「何がだ?」

 半眼で問われれば、それ以上続けるのは憚られる。単に機嫌があまりよろしくないらしい。

「…いえ。何でも…」

 そう口の中で呟くだけに留めた。

  ――何でこんなに機嫌悪いんだ?

…こんな殿とまともにしゃべれんのは、惇兄くらいなもんだぜ。

 夏侯淵は、君主をほったらかして楽しんでいる夏侯惇に、若干の恨みの篭った視線を送る。

「はぁ…」

 また隣から溜息が聞こえた。本当に何なんだ?…とそちらを見れば、曹操も夏侯惇を見ていた。というより、凝視していた。

「………」

  ――ああそうか…惇兄にかまってもらえないから…機嫌悪いのか…。

 何とも微妙な気持ちになってしまった夏侯淵は、それでも曹操を放置することはできなかった。

「あの…殿。そんなに惇兄としゃべりたいってんなら、あっちに混ざってみたらいいんじゃないですか」

「…何もわかっておらぬな、妙才よ…」

「え?」

「…あやつが自分から戻ってくるのでなければ、意味がない」

 そう言うと、再び豪快に杯を呷った。

「え〜?…でも、そんなこと言ってたら夜中になっちまいますよ」

「……」

 黙ってしまった曹操に、今度は夏侯淵が溜息をひとつ。酒を一口含んで、独り言を転がす。

「…しっかし、惇兄って…最近張遼とすげぇ仲良いよなぁ〜…。よく一緒にいるし」

 ぴくり、と曹操が動いた。

「…そうか?」

「そうですよー。飲みに誘ったりしても、張遼と先約あるからっつって、たまに断られたりするし」

「…元譲め…何が良くてあんな男と…」

 ぐうう、と奥歯を噛む。その様子を見た夏侯淵の笑顔が引きつる。

「…殿って、ほんっと…なんつーか…」

「何だ」

「惇兄のこと、好きですよねぇ…」

「…妙才よ」

ぐるん、と曹操の顔が勢いよく振り返って、夏侯淵は吃驚した。

「は、はい?」

「やはりおかしいか、わしは」

「へ?」

 ぎゅっと眉間に皺を寄せて、小声で曹操が言う。

「自分でも持て余し気味でな、最早どこまでがおかしいのかもよくわからん」

「な、何をですか?」

「お主が言ったであろう。…元譲のことだ」

「惇兄が?」

「いや…あのな…わしが、」

「はい」

「元譲のことを好きだ、という話だ」

「ん?…だって、それって前からじゃねーですか?今更おかしいか、って言われても〜…」

「それはそうだが…」

「持て余し気味ってこたぁ、最近はもーっと重症ってことですか?」

「…それなのだがな、問題は…」

「?」

 どうも歯切れが悪すぎる。曹操らしくない物言いに、夏侯淵は首を傾げた。

「…元譲のことを本気で、愛らしいと思うのだ。今」

「アイラシイ…?」

 聞き間違いかな、と夏侯淵はその言葉を復唱した。

「本人を前には、恐ろしすぎて言えぬがな…」

「あれ?アイラシイ…って言いました?」

「言った」

「惇兄のことが?」

「そうだ」

「…えええ〜〜??」

 そりゃあないでしょ!と夏侯淵が笑った。

「だってあの惇兄ですよー!かっこいいとは思うけど、アイラシイはねーわ!」

「おい、妙才!声が大きいぞ」

「いや、すみません。だって…殿がおもしれーこと言うから…」

「…もう良いわ。相談しようかと思っていたが、お前にはこれ以上は話さん」

 ぷい、と曹操が顔を背けた。

「相談?殿、悩みなんかあるんですか?」

 意外だなぁ、と漏らすと、曹操がじっとりと白い目を向けてきた。

「…今、途中まで話したが」

「え、今のが?」

 頷く曹操は、にやにやとしている夏侯淵とは対照的に、あくまでも真面目な顔をしている。

「えー…そりゃまあ…アイラシイなんて言ったら惇兄にボコボコにされるとは思いますけど…思う分には自由ですよ、たぶん。…ふふ」

 敬愛する従兄(夏侯惇)が、尊敬する従兄(曹操)の目にはそんな風に映っているとは。あんまり面白いので、語尾がこぼれた笑いで震えた。
夏侯惇に再び目をやる。やはり、アイラシイなどという語彙とはあまりに無縁な姿だ。かっこいいが妥当な線だろう。

「笑いすぎだ」

「ぶふっ、いや、ほんと、スミマセン」

「………」

「で、殿、それで全部ですか?だったら大した悩みじゃねーと思うんですけど、ふふ、はは」

「…腹の立つ奴だな。…もう全部話して、本当に困らせてやろう。後悔するなよ」

 フン、と荒い鼻息をひとつ吐き出すと、曹操は夏侯淵の耳に口を寄せて、

「どうやらわしは、元譲を抱きたいと思っているらしい」

 どうだ、言ってやった。不適な笑みを浮かべて、曹操は夏侯淵を見た。

「…ダキタイ…?」

 本日二つ目の謎単語だ。夏侯淵の脳内の辞書が適合する語を必死で漁るが、検索結果は一つだけだった。

「…抱きたい…?…」

 そして絶句した。

「これでも小さな悩みか?」

「…あの、惇兄を?」

「ああ」

「性的な意味で?」

「そうだな」

「…ええー…」

 再び絶句。夏侯淵は思考を停止して自己防衛の体制に入った。

「自分でもどうしたものか、と長年思い悩んではいたのだ。わし自身、時が経てばいつかは目を覚ますかと待ってみたが…ますます酷くなるばかりだ。
今が、これまでで一番酷い。…あんな風にわし以外の人間と楽しそうにしている姿を見ると、どうしようもなく嫉妬に駆られるようになってしまったしな…」

 べらべらと饒舌に語る酔っ払い全開の曹操の言葉の半分以上は、夏侯淵の耳を素通りして行った。

「…そんな自分をどうすべきか、見失っているのでな。どうすべきか、お主の意見を聞きたいのだが」

「…意見?」

「心のうちに秘めておくべきか、気の迷いと断じて元譲をそのような目で見ること自体をやめるよう努力すべきか、
はたまた、…当たって砕けるべきか、というようなことをな」

 あ、当たれば砕けるってことはわかってるんだ。それを聞いて夏侯淵が少しだけ冷静さを取り戻した。

「…っていうか、殿ってそういう趣味だったんですか?」

「そういう?」

「男もいけるんですね、知らなかったけど。なんつーか…さすがだなぁ…」

 なぜか感心したように呟く夏侯淵を曹操が小突いた。

「違うぞ。こんな風に思うのは元譲だけだ」

「え〜?またまたぁ」

「そうだから悩んでおるのだろうが」

「あー…まーそっかー…。でもなぁー…。俺には荷が重い話ですよ、それ…」

「だろうな」

「うーん…」

 冷静になってみると、正直、考えれば考えるほどにあまりぞっとしない話だった。
曹操がどうこう、という前に、夏侯惇のことを考えると、余計に頭の整理がつかない。
大事な兄貴分を、好色で知られるこの相手にどうこうされる…なんていうのは極力避けたい事態であることだけは、確かだ。

「ま、まぁ…殿の好きにしたらいいんじゃないですか。…俺の意見なんて役に立たねぇし…」

「…止めはせんのか」

「あはは…あの、なんつーか…殿が諦められるなら諦めた方がいいと思いますよ、はい」

 適当に答えつつ、愛想笑いではぐらかす。

  ――惇兄に教えてやらねぇと!

 曹操の恋愛沙汰の前科を指折り思い出しながら、絶対に明日夏侯惇に相談しようと心に誓った。








「…でな、殿がな、俺に言うわけよ」

 翌日の夕方。夏侯惇をつかまえることに成功した夏侯淵は、夕食を共にする機会を得、昨日のことを洗いざらい話し始めた。

「ああ、なんて?」

「ちょっと、覚悟して聞いてくれよ?」

「わかった」

「あのな…殿がな、惇兄のこと…ダキタイって言うんだよ、真顔で」

「…ダキタイ?」

 昨日の夏侯淵と同じ反応だった。ぽかん、としたまま、その単語を咀嚼する。

「でな、俺にどうすべきかって聞いてくるんだよ。
もちろん、そんなこと考えるのやめたほうがいいですよ、って言いたかったんだけどな…下手に刺激してもいけねぇと思ってなぁ…」

「…悪酔いしておかしくなってただけなんじゃないのか?」

「だって、すっげぇ真顔なんだぜ?」

「と言ってもなぁ…今日もあいつに会ったが、別に普通だったぞ?」

「いや、かなり昔からずーーっと惇兄のこと好きだっつってたからな、いつもと一緒なのは当たり前だよ」

「うわ…気持ち悪い」

 夏侯惇がぽろりと本音を漏らした。

「やっぱそう思うか?」

「思うな。…あの孟徳だぞ?おとなしく一生人妻でも追いかけてろって話だ」

「わかんねぇもんだよなぁ」

「……男も試してみたい、っていう願望があるのかもな」

「あー、なるほど!…でも、惇兄じゃなきゃダメだって言ってたぜ?」

「恋愛の過程を含めて試したいんじゃないか?で、一番手ごろなのが俺だったと」

「いやぁ、いくらなんでもそりゃあ」

「あの普段の不誠実さから言ってあり得ぬ話でもないだろう」

 曹操が何か言ってきたらどうかわすべきかを想像するが…とにかく面倒だなぁ、としか思えなかった。

「…孟徳って、本当に馬鹿だよなぁ…」

 男を試してみたいのなら、しかるべき相手を買うなり何なりすればいいのだ。
くそ真面目にお付き合いからスタート、なんて、酔狂もいい加減にしてほしい。本気で迷惑だ。

 …と、そこまで考えたときに気がついた。

「…もしかして、俺が孟徳のことを拒否したら…」

「え?」

「他の男に手を出そうとするだけなんじゃないか…?」

 曹操にとって一番手ごろなのが自分であるだけだ。もし無理だと悟れば、周りに男はたくさんいるのだから、次は標的を変えるまで。

「………まずいな」

 曹操の誘い、なんてものを断れるのはこの世に自分だけだと、夏侯惇はわかっている。次の標的となる人間は、否も応もなく曹操の酔狂に付き合わされるわけだ。

 そんなことになったら…そう、たとえば…目の前の従弟とか。

「…淵。俺は決めた」

「何を?」

「孟徳がだれかれかまわず手を出し始める前に…俺があいつの相手をしてやらねば駄目だ」

「な、何で?!」

「俺の次は多分お前だ…。俺が、孟徳を止めてくる」

夏侯惇は兄として、この上なく悲壮に決意を固めた。








 そしてその次の日の夜。
 今度は夏侯惇が曹操をつかまえて、二人で酒を前にしていた。

「孟徳!」

 まだ飲み始める前、正座をした夏侯惇が真剣そのものの様子で曹操を見つめた。

「お前、俺のことなんか抱きたいらしいな」

 いきなり超直球で言った。

「な、…さては、妙才が話したな?」

 頷く夏侯惇に向かい、曹操も思わず居住いを正した。

「…お前の好奇心が異常に旺盛なのは、良く知っている。誰かの制止を受けたところで、止まる男ではないことも知っている」

「…?」

「だから…俺で満足できるのなら、思う存分に好奇心を満たせばいい。どうにでもしろ。して欲しいことがあれば言え。…だが、絶対に他の奴には手を出すな」

「は?」

「お前、男を試してみたかったのだろう?」

「はああ??」

「違うのか?」

「違う!」

「いや、孟徳。弁明しなくて良い。俺はもう覚悟はできている。恋愛ごっこがしたいって言うのなら付き合うし、飽きたらさっさとやめればいい」

――妙才は元譲に一体何を話したんだ!!

 この場にはいない男へ憤ってみても仕方がない。

「あのな、わしは本気で…」

「本気であるフリもしたいんだろ?それもわかった」

「元譲…」

「何だ?」

「わしが、自分の好奇心のためだけにそなたをどうこうしたがるような男に見えるのか…」

「?…見えるも何も…そうだろ?」

 きょとん、とした顔で返されて、曹操は脱力した。もうなんか、何でもいいや…なんでも。

「…いや、よくない…か。…元譲。あれはな…」

「ああ」

「酔い過ぎて、自分でも訳もわからないうちに口走った戯言だ」

 もうこれ以上何を言っても無駄なので、はじめからなかったことにしてしまおう。

「あ、そうなのか?」

「…そうだ」

 臆病者!と自身を呪う。しかしこれ以外に逃げ道もない。
夏侯惇にそんな恐ろしいほどの不誠実人間だと思われているというのはショックだったが…。

「なんだ。淵がやけに真剣に言ってくるから、本気で受け取ってしまったが…そういうことなら良かった」

 ようやく緊張を解いてくれた夏侯惇を見て、やはりこれで良かったはずだ、と曹操は思った。

「…もう良いか?」

「勿論。あー、これで安心して飲める」

 酒を注いで夏侯惇が微笑んだ。

「お前は人妻を追いかけてこそだもんな!」

「…そうか」

 最早、そのくらいの言われようは全然構わないという気分だった。
 いつか必ず全ての誤解を解いて、誠心誠意告白しよう、とだけは心に決めた。この従弟が相手である以上、結果は…わかっているような気もするけれども。














 



 
三十六計で配布したおまけ本。
えー・・・と。かわいそうな殿ばかり増えていく・・・(;´∀`)
続きます。

2011年1月30日追加。




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