自戒
足先に転がっているのが、夏侯惇の目玉だ。
夏侯惇は矢を引き抜いて、それを放り投げた上、傷口から夥しい血を噴き出しながら、曹性を斬殺したという。
このあたりは、誰のものかもわからない血で真っ赤だ。
夏侯惇の目玉は、その中に、無造作に転がっている。
雪が降っていれば、行方知れずになっていただろう。
ずるずると尾を引くそれを目にしても、曹操の表情に変化はない。
それを見る前から、とっくに悲痛な表情をしていた。
夏侯惇。
失血が酷い。
病を併発して命を落とす可能性があるとも言われた。
このまま逝ってしまうのか。
せめて。
せめて、傍にいて、ただ、傍にいてやりたい、のに。
それなのに。
己が傍にいれば、死ぬ率は高まると言うのだ。
医者に止められてしまった。
苦しんだだろう。
苦しんでいるだろう。
夏侯惇だけが、一身に苦痛を受けている。
自分は、無傷だ。
感覚の隔たりが、まだ生ける自分らさえも遮っているように思える。
夏侯惇は今、自分に何をして欲しいと望むだろう。
自分は、会いたいと願っている。
下馬して、矢を拾う。
眼球の姿は痛ましいのに、滑稽でもある。見開ききっているように見えるからか。
何を考えてここに来たのだろう。
夏侯惇の部品。形見のようなそれを、探しに来たのか・・・。
夏侯惇の命。
自分はどれほどに思っている?
言葉にはならない。
それでも、消えてしまったらきっと、言葉にするのだろうと思う。
自分のために。
だったら。
消えてしまう前に、証明したい。自分のために。
眼球に唇をつける。
凍り付いて、しびれるように冷たい。
一呑みにしようと思ったが、存外、難しかった。
歯が、眼球に食い込む。
表面が凍っていなければ、歯がすべってしまって、咀嚼も不可能だったに違いない。
じゃりりと砕いて、飲み込む。
血の味に血の味。
ほう、と吐いた息さえ血生臭い。
曹操は眼球の取れた鏃を見つめると、丁寧に血を舐めた。これも、凍り付いている。
己のための儀式。
眼球さえ、食べたのだ。正気のままに。
誰も、見てもいない。
愛している。
言い切れた。
夏侯惇への思いは、元より自己陶酔でもなければ、偽善でもない。
その証明だ。
これできっと、彼が死しても、自分を失わずに済むだろう。
彼を想って生きることに、罪悪感を持つこともない。
死んだ人間を想うことは、得てして独善的な行為になりやすい。
生きて欲しい・・・
夏侯惇がどうなろうと。
どんな姿になろうとも。
たとえ苦しみ続けようとも。
生きて欲しい。
今なら、この願いを言葉に嵌めても、偽善ではない。
曹操は、真に苦しんでいる。
長い間拍手においていたもの。多分、2009年〜2010年あたり・・・?
どんだけ下ヒが好きなんだ・・・(;・∀・)!
2011年3月10日
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