羈旅(きりょ)



 







  1


 長い槍を携えて、叢をさくさくと行くのは、張遼だ。
乱世に、彼ほどの武人とあれば仕官先に困ることはなかったが、あえて、誰の下に付くこともなかった。
武の頂点を見極めるために、ただ一人で旅を続けている。
 空の調子は良くなかった。
雨こそ降ってはいないものの、どんよりと雲が垂れ込めて陽光は地上に届かず、景色全体は色あせて力ない。
そろそろ叢を抜けようかというとき、突然に人の声が降ってきた。

―――こんなところに人が?

 おかしいと思いながら、音をなるべく立てないようそっと近づいていく。

「・・・さっさと諦めて降参した方が身のためだぜ?こっちはこんだけいるんだ。痛い目見んのは嫌だろ?」 

賊のお手本のような台詞だ。
悪党が何かよろしくないことをしでかそうとしているらしい。
これは放ってはおけないと、張遼は急いだ。

「ふざけるなよ、貴様ら・・・。それ以上近づけば、八つ裂きにしてやる!」

狙われている相手はどうやら一人の男で、腕が立つ人間であるらしい。
なぜ賊が商人でもない、そんな面倒な獲物を選んだのかはわからないが、とにかく助けに行かねばならないことには変わりない。
ガサッと叢を抜けて、名乗ると同時に躍り出た。

「待て、卑劣な賊共め!悪事はこの張文遠が許さぬぞ!」

いっせいに、賊共が張遼を振り返った。襲われていた男も、顔を向けた。

   ―――ま、まぶしい・・・!

 張遼は一瞬、あまりのまばゆさに目を細めた。
その男は、とてもとても美しかった。少なくとも、張遼にはそう見えた。左目は布で覆われており、それは彼が隻眼であることを物語っていたが、そんなことは気にならないほどに、残った瞳だけでも十分魅力的だ。
体付きはすらりとした長身で、黒々とした髪が肩を流れて艶やかだ。
 張遼は、これでは賊が選り好んで襲うのも当然であるとさえ、思った。
 キッとにらみつけてやると、賊共の表情に焦りがにじんだ。

「な、なんだよ。てめえは関係ねぇだろうが!」

賊は全部で十五人ほど。一般的な武人では相当に苦戦を強いられる人数だが、張遼からすればそんなことは問題にすらならない。

「黙れ!
・・・そこの貴殿、ご安心召されよ。すぐにこのような破廉恥漢共は、私が退治して差し上げる」

張遼は男の方を向くと、今度は紳士らしいやさしい口調にして、キラリと白い歯を笑顔の口元に光らせた。

「おう。加勢、感謝する」

男は驚いていたが、張遼の言葉に頷いた。

「何だとてめえ・・・。後悔すんじゃねえぞ!」

勢いを取り戻した賊が、じりじりと二人を囲む輪を縮める。

「フン、賊風情が何人来ようと、私の敵ではない」

「ケッ!野郎共、やっちまえ!」

それを合図に、賊が一斉に打ちかかってきた。が、先ほどの言葉に嘘はなく、張遼は実に軽々と賊共をねじ伏せていく。穂先が目に見えぬほどの槍さばきだ。
あっという間に賊を殲滅すると、呆気にとられている男の方を向き直った。

「ご無事か」

「あ、ああ・・・無事だ。お前こそ、大丈夫か?」

「かすり傷一つ負ってはいない。それにしても・・・不埒な賊があったものだ。偶然通りかかったが、お救いできて良かった」

この麗しい人がもし賊に攫われてしまったらなどと、想像するだに恐ろしい。

「・・・ところで貴殿、一人で旅をしているのか?」

張遼が問えば男は頷いた。

「特に目的があるわけではないんだが、あちこちを行ったり来たりしている」

 このご時勢にこんな人が一人で旅などとは、あまりにも危険すぎる。
いつまた似たような賊に教われぬとも限らない。
張遼は妙な使命感に燃え、また、自分の好みぴったりである彼とちょっとでもお近づきになれたらいいなという期待と共に、提案をした。

「それでは危ない。私が街まで送って差し上げる故、少なくとも共を三人ほど連れてから出発した方が良い」

張遼の提案に、男は慌てて首を横に振った。

「とんでもない!助けてもらった上にそんな迷惑をかけるなんて!」

張遼が言い募ろうとすると、男がそれを遮った。

「それよりもまず、礼がしたいんだが・・・今、礼になるようなものを何一つ持ってなくてな・・・。金といったって、はした金しか持ってないし・・・」

「いや、礼などは・・・!」

「それでは俺の気がすまん。・・・なぁ、お前も一人旅か?」

突然、関係のない質問をされて、怪訝に思いながらも張遼は頷いた。

「それだったら・・・俺に、お前の供をさせてもらえないか?お前はかなり強いようだから力になれるかわからんが・・・」

「は、はい・・・?」

 嬉しすぎる申し出に、張遼の元々高い声が裏返った。

「逆に迷惑かな」

そう言って苦笑する男の手をとって張遼は、はっきりと言った。
「お願いします」・・・と。

「ところで、名をまだ聞いていなかった」

良いことをすると、良いことがあるもので・・・。
張遼の胸は騒ぎ続けだ。

「夏侯惇。字は元譲だ」

   ―――おお、名前まで愛らしい・・・。

 すでにラブ・イズ・ブラインド状態な張遼は、そんなことを思った。

「お前は?さっき、張文遠と名乗ってたが・・・」
「名は遼。字が文遠だ」
「そうか」

夏侯惇が、にこっと笑った。
張文遠二十七歳。ここに来てようやくの、春である。



















  2



張遼の旅路は夏侯惇がやってきてからというもの、一気に楽しいものになった。
夏侯惇は張遼のハートを一瞬で奪ったような優れた容姿を持っているだけでなく、慎ましやかでやさしく、道理を心得ていた。

  ―――正に理想の嫁・・・!

少しばかり思考のずれている張遼は、性別の問題など考えもせずに、そう信じて疑わないのだった。

 

「そろそろ街に近づいてきたな」

 長い旅の中でしばしの休息をとり、道中の食糧等を確保するために、二人は街を目指していた。

「そうだな。道も、道らしいものになってきたし」

道なき道を行くことが多かったので、歩きやすい道はありがたかった。
ただ、人通りはほとんどなく、がらんとした風景がどこまでも続いている。

   ―――ああ、本当にこの人は美しい。

 そんな中、ただ一つ景色を彩る夏侯惇の姿は、張遼の目に更に輝きを増して映った。
 おめでたい頭のまま夏侯惇と肩を並べて歩いて行くと、途中で小さな村を通りかかった。
何事もなく通り過ぎようとしていた、そのとき。

「・・・何だ?」

馬蹄の音。者が砕ける音。人の悲鳴、怒号。

「盗賊・・・か」

間違いない。賊が、村を荒らしている。
普段は大きく開かれている夏侯惇の瞳が、怒りにスゥッと細められた。

「文遠・・・」
「急ごう」

 二人は得物を構え、悲鳴の響く方向目掛けて駆け出した。



 賊らは略奪を粗方終え、戦利品をまとめている所だった。
 そこここに、血を流しながら倒れている村人がいる。
それらを認めて、夏侯惇の表情が更に険しくなる。
彼の内に燃えているのは、弱き者を踏みにじり甘い汁をすすろうとする悪への、純粋な怒りの炎である。
 ますますもって愛おしい人だと、張遼はこのような場に似合わぬことを考えたりもしたが、しかし、悪を許さぬ質であるのは、張遼とて夏侯惇に劣らない。
賊らが二人に気づいて誰何するよりも先に、張遼の振るう白刃が鋭く飛んだ。
夏侯惇も豪快な太刀捌きで、賊の首を胴体から次々と切り離していく。
 こんなすさまじい二人にかかっては、盗賊なんぞは赤子の手をひねるようなものだ。
残った賊が逃げ出そうとする。

「か弱い村人の命を奪っておきながら、自分の命は惜しいのか?この卑劣漢め!」

二人の刃は、逃走を許すほど甘いものではなかった。
賊の全てがあっというまに地に沈み込み、動くものはなくなった。
 二人はすぐさま、倒れている村民の安否を確かめに走り、息がある者を助け起こした。



「あ・・・ありがとうございました」

村長らしき老人が現れて、礼を言った。

未だ恐怖が去らないのか、脚がガクガクと震えている。

「いや、礼には及ばない。・・・ともかく、怪我人の手当てをしっかりしてやってくれ」

夏侯惇の表情は既に、穏やかないつものそれに戻っていた。

「・・・行こうか、文遠」

あまりここに長居はしたくないらしく、夏侯惇はすぐに歩き出した。張遼も続くと、村長が追ってきて謝礼金を手渡そうとしてくる。

「そんなつもりで助けたんじゃない」

夏侯惇は、はっきりと言って、受け取らなかった。



「やはり、乱世なのだな・・・。もう街が近いのに、盗賊が村を襲うなど」

張遼の口からため息が漏れた。
力を持たない民たちが直面している現実を目の当たりにして、胸が痛んだ。

「・・・そうだな」

夏侯惇がぽつりと言った。
ほとんどの村民は助かったが、命を落とした者もいたのだ。
やりきれなさが募るのも、仕方がない。

「もうすぐ街だ。暗くなる前に急ごう」

夏侯惇の沈痛な面持ちを少しでもやわらげたいと思い、張遼は努めて明るく言った。

「おう」

夏侯惇は、つられたように張遼に微笑んでくれた。


















  3



二人は日が傾いてすぐに街に入り、身体を休めるために宿を取った。
これまで野宿を続けていたため大して気にもしていなかったが、想い人と同室で寝泊りするなんて、春が到来している張遼にとっては、たいへんありがたいイベントだ。
同性なので、あたりまえのことだが寝台の間には衝立すらない。
 夏侯惇が譲ってくれたので先に湯を使わせてもらい、今は、夏侯惇が湯を使い終わって戻ってくるのを一人で待っているところだった。
 張遼は鉤鎌刀の手入れをしながら、今日のことを思い出した。
夏侯惇は隻眼であるのに、それは見事に刀を扱っていた。
視界は確実に狭いだろうし、相手との距離感もつかみにくいだろうに・・・。
必死に訓練を積んだのだろうな。
 張遼には彼の強さも、その姿勢も、全てが好ましく思えた。



「すまん、遅くなったな」

 夏侯惇が部屋に戻ってきた。

「いや、全然・・・」

否定しようと手入れの手を止めて、張遼が夏侯惇を振り返ると、張遼的にはとんでもない姿が目に入った。
 初々しく頬はほんのりと染まって、適当に着た夜着からは胸元がチラリチラリと垣間見える。その胸元と、すらりと伸びた首筋は、普段日の光に晒されていないために色が白い。そして、元々つややかで美しい髪が水気を帯びて更に艶めき、扇情的に夏侯惇の首筋に絡み付いていた。
 これはいけない。実にいけない。全くもってけしからん。
夏侯惇の姿にみとれながら、張遼は思った。

「で、では、夕飯を食べに参ろう・・・」

鼻血を垂れ流すようなことになって不審に思われる前に、さっさと、逃げるようにして部屋を出た。



卓につき、食事が揃うと、二人は行儀よく箸を使い出した。
黙々と箸を進め、ある程度食事が進むと、酒に手が出た。
 二人ともそれほどの酒好きというわけではなかったが、久しぶりの酒は、それでもやはり美味いものだった。
 酔いがまわってくると、舌が動くようになってくる。

「あの、元譲殿」

そこで張遼は、これまでずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。

「何だ?」

とろんとした瞳が、張遼を捉える。どうやら彼は、あまり酒に強い方ではないらしい。

「貴方はこれまでずっと、一人で旅をしてきたと言っていたな」

「ああ、そうだ」

「・・・その間に、賊に襲われるということはなかったのか?この前のように」

「そうだなあ・・・。お前に助けられたときほど多くはなかったが・・・5,6人の賊に囲まれたことなら、何回かあるな」

「何?!そ、そのときはご無事だったのか?!」

慌てふためく張遼に、夏侯惇が苦笑する。

「何だよ、俺はそんなに弱くはないぞ?その程度なら、一人で十分だ」

「そ、そうか・・・」

張遼はほっと胸を撫で下ろした。
 もしもこんなにも愛らしい夏侯惇が下衆な輩に捕えられでもしたら、大人数から、あんなことやこんなことをされ、それからそんなことまでやらされ、さらにさらにとても口では言えないような目に遭わされてしまったのに、違いない。
 先日、張遼が滅殺したあの賊も、夏侯惇があまりに美しいから、わざわざ武装した男であるのを承知で彼を狙ったのだ。
そうとしか、張遼には考えられなかった。
 張遼は、これからも絶対に夏侯惇を守ってやらねばならないと、固く決意をしなおした。

「・・・そういえば、街の安宿で雑魚寝をしていたときに、男がのしかかってきたことがあったな」

「はぁ?!」

安心した矢先のまさかまさかの大事件に、張遼が素っ頓狂な声を上げた。

「金を盗るなら、俺を殺して黙らそうなんてせずに、さっさと荷物だけとって逃げてけばいいのにな。すぐに気がついたから、とっ捕まえて宿の主人に引き渡したが」

「・・・・・・・・・」

―――あー、この人もしかして、おっそろしいほど鈍いのか・・・。

今まで無事に生きてこられたというのは、ほとんど奇跡といっていいだろう。
 その男がまさか、金を盗ろうとしたのではなく、自分を抱こうとしていただなんて、思い及びもしないらしい。
 これでは、外はおろか、街中でも目が離せない・・・。

「・・・・・これからは私がどこに行ってもついているから、安心しておられよ・・・」

「え?逆だろ?俺がお前の供なんだから」

「いやいや、それでいいんだ」

 夏侯惇は不思議そうにしていたが、酔っているため考えるのが面倒になったのか首を傾げただけで、再び酒を飲み始めた。















  4



 二人は、仲良く旅を続けていた。
 旅の途中で、賊に襲われている村や旅人と遭遇しては助け出し、非道な行いを駆逐していた。
 この地方に住む民は二人に深く感謝するようになり、積み重ねた善行はやがて、二人の名を正義と共に人々に知らしめていった。

 そしてまた今小さな村を通りかかると、そこはしんと静まり返っていた。
 荒らされているわけでもなく、雨が降っているわけでも暴風が吹いているわけでもないのに、人々は家に引きこもっている。

「おかしいな・・・この村」

「村人をつかまえて、尋ねてみよう」

村の中を通る道を歩いていると、キョロキョロと辺りを見回しながら慌てて家の中に駆け込もうとしている男を見つけた。

「おい!」

夏侯惇が声をかけると、わっと逃げ出そうとしたが、追いかけて宥めるように尋ねてみた。

「急いでいる所をすまん。一体何があってこの村はこんな状態になってるんだ?何かあったのか?」

すると男は怯えた表情をしながらも、小声で答えてくれた。

「実はな・・・近くに化け物が現れて、今この村に向かっているという噂なんだ・・・。みんなどうやって避けたらいいかわからないから、隠れてやりすごそうとしている」

「化け物、だと?」

 夏侯惇の顔色が変わったが、張遼は気づかず、重ねて尋ねた。

「その化け物とは、どのようなものだ?」

「見てないからよくわからんけど・・・とにかくでかくて、強くて、人間をたくさん殺すらしい」

「なるほど・・・奇怪だな。・・・それで、今その化け物はどこにいるんだ?」

「東の原にいるって噂だ・・・」

これは見過ごしてはおけない。
張遼は、村人に請け負った。

「私が見て参ろう。獣の類であれば、退治すれば済む話」

張遼の申し出に、村人は感謝の言葉を述べながら、ヘコヘコと頭を下げた。

「さあ、元譲殿。その化け物とやらの退治に向かおう」

「そ、そうだな!・・・放っとくわけには・・・いかないしな」

あたふたと答える夏侯惇を見て、張遼はようやく彼の様子がおかしいことに気がついた。

「元譲殿・・・?気分でも悪いのか・・・?」

顔を覗き込んで尋ねれば、夏侯惇が慌てて否定した。

「い、いや!大丈夫・・・大丈夫だ!ほ、ほら、行くぞ!」

そう言って、夏侯惇が先に歩き出した。

張遼は怪しいと重いながもら、それ以上は聞けなかった。



「ここだな、化け物が出るとかいうのは・・・」

張遼は額に手をかざして辺りを見回した。
どこにも、それらしきものは見当たらない。

「こ、ここか・・・」

夏侯惇の様子は、ますますおかしくなっている。張遼のそばにはり付いて、離れようとしない。
 しつこいかな、と思いつつ、張遼はもう一度だけ聞いてみた。

「あの・・・本当に、いかがした。何かあるのなら、遠慮せずに言っていただきたい」

「う・・・・・」

夏侯惇は、下を向いて項垂れてしまった。

「元譲殿・・・?」

「・・・・・・・・・・笑わないでほしいんだが」

そこまで言って、夏侯惇はちらりと張遼の顔色を伺った。

「ああ、笑わない」

そう返事をもらうと、また視線をそらして続けた。

「実はな・・・その・・・。化け物というか・・・幽鬼の類が・・・苦手なんだ」

「は?」

思わず、間の抜けた声を出してしまった。

「・・・なぜだか、どうにも無理で・・・。ほら、化け物って、斬れないだろ・・・?・・・・・・やっぱり、おかしいよな・・・」

恥ずかしいらしく、夏侯惇の頬が赤く染まっている。
 あまりにかわいすぎる台詞とその表情に、張遼は大いに動揺した。

   ―――あなたは一体、どこまで私を虜にすれば気が済むんだ!

「誰にも、苦手のものの一つや二つはある。気になさるな。化け物は、この張文遠が退治する」

張遼は心の中で盛大に鼻血の噴水を噴き出しながら、フォローを入れた。

「・・・ありがとうな、文遠。でも、俺も戦うよ」

夏侯惇がぎこちない笑みを浮かべた。


 
 しばらくしても、やはり怯えが抜けないらしく、夏侯惇の表情はこわばったままだった。
 恐怖を少しでも和らげてあげようという優しさと、それをはるかに上回る下心でもって、張遼は夏侯惇の肩に腕をまわした。
 すばらしいシチュエーションにウキウキとしていると、夏侯惇が大きく身じろぎをした。

「おい、文遠・・・」

夏侯惇が指差す方向を向けば、遠くに人影があった。

「・・・人間、だな」

「・・・よかった」

現れたのが幽鬼でなかったことに夏侯惇は心底ホッとしてため息を吐いた。

「・・・しかし、ここに化け物が出没するというのは、付近の住人は皆知っているはず・・・」

「だよな。・・・じゃあ、あれは・・・」

「噂を知らぬ旅人か・・・それとも、あれこそが化け物、ということか」

夏侯惇が、張遼の言葉にごくりと唾液を飲み込んだ。

「あれが・・・化け物・・・」

「私が行こう。元譲殿は、ここで・・・」

「いや、俺も行く・・・。借りのある相手にそんなことはさせられない」

「・・・承知した。では、参ろう」

夏侯惇一人置いていくのも確かに不安なので、張遼は素直に夏侯惇を連れて行った。



近づくにつれて、その影が本当に人間であることは確認できた。
しかし、更に近づいていくと・・・それがただの人間ではないことが、二人にはわかってきた。
でかい。とんでもなく、でかい。
 きらびやかな鎧に身を包んだ大男が、見たこともないほど立派な作りをした戟を手に、立っていた。
 男が振り返ると、凶悪な光を放つ瞳が二人を捉えた。

「もしかして・・・本当にあれが、化け物かもな・・・」

「・・・・・・確かに」



「・・・何者だ」

向こうが先に口を開いた。

「我らは旅の者だ。貴殿こそ、何者だ」

張遼が、毅然として答えた。
身体はでかい上に手にしている巨大な戟を見ても、半端な腕ではないことは明らかだったが、負けるとも思えなかったし、何より少しも恐怖を感じない。
軽ーくこの化け物をぶっとばして、夏侯惇に「キャー、ステキ」と思ってもらうチャンスだ。

「俺の名は呂布。・・・貴様らも運が悪い。俺は今、この戟の切れ味を試して歩いている最中でな・・・村人では斬りがいがなくて、困っていたところだ」

「何?!貴様、村人を殺したのか!」

先ほどまであんなに縮み上がっていた夏侯惇が、すごい剣幕で迫った。相手が人間となると、どんな化け物じみた相手であっても、全く平気であるらしい。

「虫けらを何匹殺そうが、関係ない」

呂布が答えつつ、視線を夏侯惇に向けた。
と、途端に、ギョロリとした目を驚きに見開く。

「ほう・・・貴様、なかなかに良い面をしているな。その上・・・その辺の雑魚のように度胸がないわけではないらしい」

「だったら何だと言うんだ!」

刀を構えながら、夏侯惇が吠えた。
民に手をかけたことを、激しく怒っている。

 しかし、呂布はそんなことは意にも介さず、余裕の笑みを浮かべた。

「気に入ったぞ、貴様。俺のものにしてやろう」

何をふざけたことを!

 そう叫んで飛び掛ろうとしたとき、張遼が代わりに叫んでいた。

「だれが!貴様なんぞに元譲殿をわたせるか!死ね!今すぐ死ね!」

 どうやら呂布の言葉で怒りのあまりに理性を失ったらしい。
張遼が、凄まじい勢いで呂布へと斬りかかった。

「フン、おもしろい。まずは貴様を倒して、それからそいつを攫ってやろう!」

呂布の戟が張遼の槍を受け止める。激しい火花が散った。



 二人の、夏侯惇を賭けた戦いは長引いた。二人とも強すぎるくらいに強い上に、体力も底なしときている。
数十合刃を交えようともお互いに一歩も譲らない。
 しかし、ついに転機は訪れた。
二人の刃が重なって、力勝負の鍔迫り合いになったとき、間近くで呂布が言った。

「貴様、あの男をどこで手に入れた」

「どこだとて、貴様には関係のない話だ」

「・・・あの男で、夜な夜な、さぞいい思いをしているんだろうな」

したことねーよ!

そう思ったが、言うのも癪である。

「きちんと躾けてあるんだろうな?」

「何?」

「飽きて売るときに、高値でなければ困るだろう」

―――ブチッ。

 張遼の頭で、何かが切れた。

「貴様にだけは・・・元譲殿はわたさん!!」

 怒りを力に変えて、張遼の腕力は限界を超えた。
 呂布の刀をはねのけると、返す刃で胴体を切り裂く。

「な、にィ?!」

信じられないという顔で、呂布が膝を折った。
気を失ったようだが、まだ息はしている。

「ふ・・・身にそぐわぬ高嶺の花など望むから、こうなるのだ・・・」

張遼は冷笑を浮かべながら、荷物から縄を取り出して、呂布をがんじがらめに縛り上げた。
夏侯惇は、まだ唖然として作業をする張遼を見つめている。



 お尋ね者になっていたらしい呂布を役所に突き出して報奨金を受け取り、二人は街の宿に身体を休めた。

「すまなかった・・・。戦いに割り込む隙が見つけられなくて、結局全部お前一人にやれせて・・・」

夏侯惇が寝台に腰掛けて、しょげ返っていた。

「謝らなくて良い。あのときは私も冷静さを失っていた故、貴方が入ってこられなかったのは当然だ」

怒りに任せて飛び出して行ったのは自分であり、夏侯惇に非はない。
だから、張遼は本当に少しも夏侯惇に対して怒ってはいなかった。

「本当に・・・俺は情けないな・・・」

 どうやら、夏侯惇は本気でへこんでいるらしい。
 張遼はそんな風に思って欲しくてやったわけではなかったので、元気を出してもらいたかった。

「本当に気にしなくて大丈夫だ。もう遅い。そんなことは気に病まず、今日のところは眠ってしまおう」

「・・・・・・おう」

夏侯惇は小さく頷いて、大人しく横になった。



眠りに落ちた夏侯惇の顔を、こっそりと盗み見る。
必死に眠りをむさぼるその様は、普段よりも幾分かあどけない。
ふと、張遼の脳裏に呂布の言葉が蘇った。

『・・・あの男で、夜な夜な、さぞいい思いをしているんだろうな』

あの男は、何もわかっていない。
 この人のすばらしさは、見た目だけではないのだ。
やさしく、素直で、強い。
 共にいる時間が増えれば増えるほど、どんどん愛しく思えてくる。
今、この人を無理矢理自分のものにしたとて、それが一体何になろう。
 この人に苦痛を、悲しみを与えて、一体それが何になろう。
 彼が望まぬことは、決してしたいとは思わない。



 いかに愛おしい人の絶品とも言える寝姿を見て、現在進行形で下半身が大変なことになっていようとも、張遼はひたすら自分を抑えるだけなのだ。








  5



 翌朝、張遼はいつもの通りに目を覚まし、さっと身支度を整えて夏侯惇が起きるのを待っていた。
 しかし、いくら待っても彼が目を覚ます気配がない。
 普段は寝過ごすことなど一度もなかったので、これはおかしいと思って額に手を当ててみると・・・案の定、熱がある。
 夏侯惇の様子をよく見れば、この時期にはふさわしくない量の汗をかいていて、苦しげな呼吸を途切れ途切れにつむいでいた。
 これでは、到底出発できない。

  ―――早めに薬を手に入れて、医師を呼んでこなければ・・・。

 声をかけてから出かけようか迷ったが、折角眠っているのに起こしては気の毒だと思い直し、張遼はそのまま出かけていった。



 夏侯惇は、うなされていた。
張遼の傍は、居心地が良い。張遼は少し変わったところのある人間だけれども、彼と共に旅をするようになってから、一緒にいて楽しいと思ったのは一度や二度ではない。
 しかし、いや、だからこそ、思い出すのは・・・自分が張遼に救われたときのことばかりだった。
 張遼と出会ったあの日。もしも張遼が来てくれなかったら、一体自分はどうなっていただろうか。
 滅多なことでは賊などに遅れはとらないが、あれだけの人数に囲まれては、恐らく無事では済まなかったろう。
 そして、その恩を返すためについてきたのに、昨日もまた張遼に救われてしまった。

  ―――ああ、これではあいつと一緒にいるのは、俺自身の為になってしまうな・・・。

 ひたむきすぎる武の高みを目指す態度、そして、弱い者を放っておけないあの心。それらを間近で見てきて、夏侯惇は思った。

  ―――自分はきっと、張遼という人間が好きなんだろうなぁ・・・。



 暫くして、夏侯惇は目を覚ました。意識はまだ朦朧としている。

「文・・・遠・・・?」

 部屋には、人の気配がなかった。当然、名を呼んでも返事はない。
 窓を見遣れば日が大分高くなっており、自分が寝過ごしたらしいことに気がついた。
 慌てて起き上がろうとするものの、異常なほど身体が重く、うまくいかない。
 額に手の甲を当ててみた。するとそこは、自分でもわかるほどに熱を持っていた。

  ―――そうか、やっぱりこんな供いらないよな・・・。

先ほどまでの暗い夢と自身の体調のせいで、夏侯惇の思考は極端な方向へと転がった。

―――昨日の今日にこのザマじゃあ、愛想をつかされて当然だ。

足手まといにも、ほどがあるもんなぁ・・・。
 夏侯惇が息を吐くと、それは悲しげにひゅうと鳴った。
 一人旅に戻るだけだ。今までだってそれで普通にやってこられたんだし、何の問題もない。
・・・そう考えるのに、目頭が勝手に熱くなった。

  ―――何も、問題ない・・・。

 そう心の中で繰り返し、夏侯惇は再び眠りの中へと引き込まれていった。



「元譲殿・・・元譲殿・・・」

 夕刻。張遼が戻っても、夏侯惇は眠っていた。
 医者を呼ぼうとしたものの多忙らしくて捕まえられず、とりあえず買ってきた薬だけでも飲まそうと、張遼は懸命に夏侯惇の字を呼んだ。
張遼が出かける前よりも顔色が悪く、心配になる。

  ―――元譲殿。

 夏侯惇は夢うつつで、遠くにその声を聞いた。

  ―――おかしい。自分を呼ぶ人など、今はもうあろうはずはないのに・・・。

 夏侯惇は奇妙に思いながら、そろりと目を開けた。

「元譲殿、申し訳ない。薬を持ってきたので、飲んで頂こうと思って・・・」

そっと自分を助け起こす腕。そして、この声。

「文遠・・・?」

薬湯を張遼が差し出したが、夏侯惇はぽかんとしているばかりで、口をつけようとしない。

「いかがした?元譲殿?」

張遼は、心底不思議そうにして夏侯惇をじっと見つめている。

「お前・・・先に行ったんじゃなかったのか・・・?」

夏侯惇の口から出た言葉に驚いて、張遼が眼を見開いた。

「まさか!もしかすると、夢でも見られたか?この状態の貴方を置いて、私が一体どこへ行くと?・・・医者を呼びに出ていたのだが、今日は連れてくることができず、こんな時間になってしまったが・・・」

張遼の無骨な指が、夏侯惇を安心させようとして髪を優しく梳いた。
張遼のことをあんな風に考えた自分の女々しさが情けなくて、張遼の優しさがあたたかすぎて、戻ってきてくれたことが嬉しくて。
涙が、夏侯惇の眦から転がり落ちた。
それを見た張遼はもう仰天して、夏侯惇の顔にぐっと自分の顔を近づけた。

「本当に一体如何した?!大丈夫か??」

「うん・・・。俺、お前に迷惑をかけてばかりだし、今日はこんなことになるしで・・・足手まといだから、本当に行ってしまったかと思った」

熱のせいか、夏侯惇の口調は少し子供っぽい。
「そんなことはない。・・・貴方がいてくれて、いや、いてくれるだけで、私は嬉しいのだ。足手まといだなどと、思ったことはない」
 これが張遼の本心だ。告白のような台詞になってしまい、否が応でも胸が高鳴ってくる。

「礼のつもりでついてきたのに、これならいない方が・・・」

「大丈夫だ。私は絶対に置いていったりしない」

こんなにも愛しいのに、どうしてそんなことができようか。

「たとえ、貴方が置いていってくれと頼んでも、私は貴方を離すつもりはない。そして、もし貴方が私を置いて行こうとしても、私は貴方を追いかけて、絶対に離さない」

ぎゅっと、夏侯惇の身体を抱きしめた。

「私は初めて会ったあのときから、貴方のことが好きだ。今も、ずっと。こんなにも貴方が好きだから、昨日のことも今日のことも、少しも苦にならない。・・・だから、安心していただきたい」

 腕の中の夏侯惇が、ふるりと震えた。

 突然こんなことを言われたらうろたえるだろうなと、張遼にもわかっていた。
しかし、夏侯惇の不安を拭うためには、仕方がない。

「・・・さあ、元譲殿。とにかく薬湯を。これでよくならなかったら、明日は必ず医者を呼ぼう」

「・・・・・・・おう」

真っ赤になった夏侯惇が、消え入りそうな声で返事をした。



翌日になると大分熱は引き、夏侯惇が要らぬと言ったために医者は呼ばれなかった。しかし、まだ出発できる状態ではなかったので、今日一日は薬を飲んで、夏侯惇はしっかりと休養をとることになった。
 一方張遼はというと、夏侯惇の看病をするために、当たり前のように寝台の脇に椅子を置いて座っていた。
夏侯惇がいくら、どこかに出かけて来いと言っても、頑なに拒んで居座っている。



 昨日のことを思い出すと、自然と頬が熱くなった。
あれは、どう聞いても、愛の告白そのものだった。
 しかし張遼が、男であるこの自分に告白など、どう考えてもおかしな話だ。大体、自分のことを初めて見たときから好きだったなんて、そんなのは絶対に有り得ない。

  ―――こいつ、目が腐ってるのかな・・・?

 そんな余計な心配をしたりもしたが、ひょっとしたらあの“好き”は、人間としての“好き”ではないのかと思いついた。
 それならばおかしいことはないが、『初めて会ったときから』というのはおかしい。

―――初めて会った相手の性格なんて、そんなにすぐ見抜けるわけはないし・・・。

 夏侯惇は延々と、熱のある頭で堂々巡りの思考を繰り広げた。



 また夕方がやってきて、夏侯惇の具合も随分とよくなった。
 最後の薬湯を飲ませようと、張遼が夏侯惇の上体を助け起こす。

「元譲殿、薬湯を」

夏侯惇が、とろんとした寝起きの目を開けた。素直に器を受け取って、薬湯を飲む。背筋は伸びていて、もう張遼の手がなくてもしっかりと座っていられるようだった。
夏侯惇は礼を言ってそっと器を返すと。ぽつりと張遼に尋ねた。

「なあ、文遠・・・。お前が昨日言っていた、“好き”っていうのは・・・どういう意味だったんだ・・・?」

 夏侯惇が妙に鈍いことを知っていたので、張遼はまさかそこを突っ込まれるとは思っていなかった。
内心非常な勢いで慌てふためいたが、表面は平静を繕う。

「あれは・・・そのままの意味で・・・」

「・・・そのままって?」

ぐっと答えに詰まる。だが、ここまできてしまっては引き返せない。張遼は、どうにでもなれ!とばかりに一気に言ってしまった。

「つまり・・・私は、あなたのことを心に思っている。もっとはっきりと言ってしまえば、貴方のことを愛しいと思っている。・・・そういうことだ」

 まさか、本当にそうだとは・・・!

夏侯惇は自分で聞いておきながら、狼狽していた。

「俺は、その・・・男なんだが」

「・・・そんなこと、百も承知だ。それでも貴方のことが好きなのだ。元譲殿」

「そ、そうか・・・・・」

夏侯惇はそれっきり、絶句してしまった。
 気まずい雰囲気に、張遼が冷や汗をかく。
 だが、夏侯惇はただ黙っているわけではなかった。沈黙の内に、必死に思考を廻らせていた。

  ―――どうやら、自分が男であることは、張遼にはどうでもいいことであるらしい。そして、こんな片目のどこがいいのか全くわからないが、彼は本気で自分のことを好いてくれているようだ。こういう場合、一体どうしたらよいのだろうか・・・。

確かに自分も張遼のことが好きだが、果たして張遼の言う“好き”と同じ“好き”なのだろうか。色々と考えてみても、よくわからなかった。
 本当の本当に困ってしまって、夏侯惇は口を開いた。

「俺は・・・お前のこと、そういう意味で、好きなんだろうか・・・」

「は・・・?」

「俺も、お前のことが好きだと思う。けどな・・・うーん・・・格好良いと思ったことはあっても・・・きれいとか、かわいいとか・・・思ったことはないからなぁ・・・どうなんだろう?」

張遼の目が、点になった。
まさか、夏侯惇がここまでのド天然だとは、思ってもみなかった。

「あの・・・元譲殿。私に対して、かわいいなどと思えなどというのは、どう考えても無理な要求であるし・・・私も全く求めていないから、大丈夫だ」

「そうなのか?あ、そうか。俺に対してかわいいっていうのもおかしいもんな・・・」

  ―――ん?じゃあ一体張遼は、俺にどうして愛しいと思うなんて言ったんだ?

 夏侯惇が更に混乱していると、張遼が至極真面目な表情で、きっぱりと言った。

「私は貴方に悩んでいただきたくて言ったのではないので、そんなに混乱しないでいただきたい。・・・ただ、これだけは承知していてくれ。貴方は大変かわいらしいし、美しい。少なくとも、私はそう思っている」

「俺が・・・?かわいらしい・・・?うつくしい・・・?」

 わけがわからん。

そうとでも言いたげな顔で、夏侯惇が眉をひそめる。

  ―――ああ、本当に、この人は・・・。

こんなにも鈍感で、自分のことを何一つとしてわかっていないところも全て、張遼には愛しかった。



彼を自分のものにしたいと、思わないではない。
けれども、今一緒に過ごしているこの時間だって、張遼には十分すばらしいものに感じられる。
だから今は、それだけで構わないのだ。
ひょっとしたらいつか、夏侯惇が自分の気持ちを理解して、彼なりの答えを出してくれる日がくるかもしれない。・・・あの調子では、一体いつになるのかわからないが・・・。

 張遼はとにかく、夏侯惇が昨日よりも元気になってくれたことが嬉しくて、自然と頬が緩むのを感じながら、腕にかかる重みを慈しんだ。





















 




交地9(無双5発売日)に出した本でした。初めてのオフ本。
修羅モードで遼惇でまだるっこしいおはなし。
ここ数年こんなのばっか書いてる気がします。うー・・・

2010年7月11日追加。

 




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送