寝首をかく



 
   
   




夜の闇に溶ける、大柄な男の影。

ぼんやりとした幻か幽鬼のようなそれに、夏侯惇は一瞥をくれた。


「・・・何の用だ、関羽」


ギラリと光る小刀の刀身を、見せ付けるようにゆっくりとめぐらす。


「・・・面白いことを思いついた。
 今からそれを試すところだ」


微笑んで、関羽は夏侯惇の剥き出しになった首を撫ぜた。


「面白いこと?
 ・・・そんなことのために、真夜中にここに来たのか」


夏侯惇はここ数日、病に罹って熱を出していた。
思考する力も、ましてや視線を廻らす力も、夏侯惇には残ってはいなかった。

普段ならば滅多に外気にさらされることのない左の瞼が、
傷口も露に、夏侯惇の荒い呼吸に合わせてわずかに痙攣する。
睫毛も同時に震えていた。


「・・・夏侯惇、お主でものごとの可能性を試そう。
 そういう思い付きだ」

「・・・」

夏侯惇は、この男がどこからどう侵入してきただとか、
そういうことに関心が持てずにいた。

何をしに来たのだと、ただそれだけが知りたい。

「拙者が何をせんとしておるのか、貴殿はわからぬか?」


関羽の手元で、光を反射して存在を誇示する小刀。

そこに視線を寄せて、夏侯惇は答えた。


「・・・殺しに来た、ということか」

「いかにも」


関羽はさも嬉しそうに頷いた。


「・・・貴様が俺を殺して、一体何になると・・・」


大声で叫んで家人を呼べば、この危険な侵入者を阻むことはできようか。

いや・・・
関羽には、一切の隙がなかった。
もし大声を上げようものなら、すぐさま夏侯惇の胸にその刃をつきたてよう。


   狂ったのか?


頭の中に浮かぶのは、その言葉だけだ。


「・・・もしも、もしも」


関羽はゆっくりと夏侯惇の首筋に小刀を押し付けながら、
うっとりと夏侯惇に囁きかける。


「・・・曹公が、道半ばで夏侯惇を失ったら・・・?」

「・・・」


夏侯惇は、肌を刺激する刃物の感覚に、体を強張らせた。


「そして・・・もしも、拙者が貴殿の命を奪ったら・・・?

 ・・・それも、戦場ではなく・・・今、ここで」


「・・・」


小刀を押し当てておきながら、空いた方の手は夏侯惇の頬をやさしく滑る。


「どうなると思うかな?・・・夏侯惇。

 いずれも、知りたい未来だとは思わぬか・・・?」


関羽は、その想像がたまらぬとでも言うように笑みを漏らした。


「・・・俺の首をぶら下げて、劉備の下に凱旋というわけか?」


考えることがあまりにも関羽らしくなさすぎて、
熱に浮かされながらも、夏侯惇の思考はとまどった。

こんな卑怯な手段で手にした首なぞ、劉備の悪評の元にもなりかねないからだ。


「さにあらず・・・。
 
 ・・・貴殿は、もしかすればということを、夢見たことはないのか?」


「・・・ん・・・何・・・?」


「あるであろう?
 あの戦で、負けていれば・・・勝っていれば・・・
 あの者が軍に降っていれば・・・降っていなかったら・・・」


「・・・何を言い出すのかと思えば・・・」


「ない、と言うのか?」


「考えたことがないとは言わん・・・
 しかし、そんなことは飽くまでも単なる想像だ・・・
 真剣に思うだけ、馬鹿馬鹿しい」


「・・・夏侯惇」


関羽は、夏侯惇の耳元に吹き込むように言った。


「・・・貴殿はどうか知らないが、拙者は飽きたのだ。
 信ずる者と夢を追い、文武を極めんとし、名声を得ることに生きるのを。
 
 ・・・どういう因果か、今拙者は曹公の配下。
 清廉な生き方を貫き通す己では、概ね先が見通せよう。

 ・・・だが。
 突然乱心したかのように、曹公の腹心中の腹心の寝首を掻き、
 そのまま兄者の夫人さえも見捨てて、出奔する・・・」


「・・・貴様・・・」


夏侯惇は、怯えるでもなく、ただ呆れたように関羽を見た。


夏侯惇とて、生きるに疲れることもある。

曹操という大人物の一番の臣として、あらゆる重圧、辛苦に耐えながら
の生は、ひたすらに過酷なものだった。

そして、その過酷さに嫌気が差した瞬間には、様々なことを思う。
けれども、思うだけで、すべてを終わらせる。
それもこれも、絶対と仰ぐに躊躇わずに済む主のあるおかげであった。


だから、夏侯惇は関羽の吐露を、一笑に付した。


「・・・貴様は、そんななりでありながら、
 意外にも青臭い考えをするのだな」


「・・・そうやもしれぬ」


「・・・・・・」


「・・・だが、拙者にはどうしても見たいものがある・・・」


そう言って首筋につけた小刀を握る手に力をこめると、
薄い皮が裂けて、血が滴る。


「・・・ッ・・・」


「やはり、貴殿を失ったと知った瞬間の曹公の顔が・・・

 見たい」


「・・・ダメだっ」


夏侯惇は、かすれた喉で叫んだ。


「孟徳に、そんな顔をさせるわけには・・・」


「左様か・・・

 親族で、腹心の寵臣を失った、乱世の異端児・・・。

 実に、そそられるとは思わぬか・・・?」


「美談なぞ、不要だ!

 そんなものよりも・・・
 あいつは今信頼する者を失うわけにはいかない!」


不安定な心の内を理解する者を失うと、
人間は本当に脆いものだ。


「さあらば・・・
 余計に誘惑も強まろうというもの」


関羽は、小刀を添えたまま、片手で首を締め付けた。

強くではないが、それでも、発熱している夏侯惇にとっては
相当の苦痛である。


「グッ・・・」


「・・・夏侯惇よ・・・」


首を絞めておきながら、関羽の声はまるで優しい。

相変わらずのうっとりとしたような瞳で、夏侯惇の苦痛にゆがむ
顔を見つめる。


「・・・この関羽に命奪われること・・・

 どう感ずる・・・?」


一瞬、首にこめた力を抜いてやれば、夏侯惇は必死で呼吸しようとした。











 



 
リライト
からお借りしました、
「選択課題・ラブラブな二人へ」>「寝首を掻く」です。

ラブラブじゃ、な〜い


 


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